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ほんで お前はナニモンやねん


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こんにちは

Custom bike LIGHTの木野です

 

ブログに引っ越して 数週間

ホームページの頃よりも

更新スピードが上がってきてまいりました

 

で、数ページ 書いてみて 

こんなブログでも少なからず読んでくれてる人 いるんだなーと思った時にね

「なにを偉そうに!」とか

「なんぼのもんじゃい!」とかね

「ほんでお前はナニモンやねん!」

そー感じる人も多いでしょうから

今回はそんなお話

 

ですので 今回は僕のお話になりますので 過去最高に面白くないと思います

暇で暇で ケツかいて寝よっと ってな時に ダラダラ読んでいただけるよう

お願い申し上げ候

 

 

1975年生まれの これを書いてる現在43歳です

これ 大事でしょう?

僕はね あんまり人のブログ 読まないんですが それでも整備データなんか検索してると

ブログにヒットすることもあって

それを書いてる人 おっさんやろか 若いにーちゃんやろか 綺麗なねーちゃんやろか

だからといって色眼鏡で見るわけじゃーないんですが なんかね 人ってのはそんなの

気になりますよね

 

チビの頃はバイクには全く興味はございませんで

仮面ライダーよりウルトラマンが好きでした

親の離婚と再婚で 大阪から和歌山に10歳の頃 誘われ

順調に勉強もし 悪いこともほどほどし 16になった時にね

ふと立ち寄った本屋さんで

「そーか 16か なにができるん?

    タバコ?酒? まだ大きな顔ではできないなー

   バイク? バイクの免許 取れるんちゃうん!」

そそくさとバイク雑誌コーナーに行って 適当な雑誌を手に取り 見ているとね

当時はレーサーレプリカブームの終わりの方でしたかね

プラスチックに覆われたバイクにそれほど興味がなく

こんなんちゃうねんなー とパラパラとめくってると

「ナンジャコリャー!」

STEED?なんて読むねん これ すてーど?

衝撃を受けたんです

もちろん当時はハーレーの事すら知りませんでしたので

ティードがそれのバチモン っちゅーかね えーよーに言うと

インスパイアされたバイクであることを知りません

 

もーそーなると 居ても立っても居られなくなるのが当時の僕でして

親に「免許取る!」

「危ない 絶対にあかん!」

どこのご家庭にもあるんじゃーないですか この問答

「ほな 一人で生きて行く ほんでバイクに乗る!」

アホです

チャリで家出しましたが お腹が減ってすぐに帰りました

ヘタレです

 

しかしそれが功を成したのか どうかわかりませんがね

「こいつは言い出したら聞きよれへん  条件付きで認めたろ」

オカンが親父を説得するに至り

晴れて 学校をサボりつつ2週間で中型免許を取得しました

高1で僕の周りには バイクに乗ってる友達はいなかったんですが

木野が免許取りよった こうしちゃおれん

みたいに思ったんですかね

その後 続々と友達が免許を取ると言う

教習所から 今思えば多少の広告料なりを頂かないとね とか思いますよ

 

で、免許は取った

バイクどーするねん

ここでも家庭内アホさ加減 爆発するんですよ

親父は 「危ないから125ccにしとけ」

「はー?なにゆーてんねん!スティードに乗りたくて免許とったんじゃい!

   親父 貸してくれ! っちゅーか貸せ! 絶対に返すから」

もーここまでくるとヤクザです

貸してもらう者の頼み方ではありません

しかし そこでもオカン

「こいつは言い出したらキカンから」

 

でね 前にも書きましたが

小遣いとバイト代だけでは 改造とかできません

乗り出して初めて知ったハーレーダビットソン

知れば知るほどスティード ブサイクやん

なにこれ 改造とかするん? かっちょえーやん これや!

 

考えるんですよ

パーツ代が1万やろ? 工賃が1万円やろ?2万円かー

おっしゃ 自分でやったら1万円でOKやん!

 

僕の整備士人生は まさにこのケチ根性から始まるわけです

 

高3になって 周りの友達が どこの大学に行くとか

そんな話がちらつき始め 当然我が家にも

「ほんで お前 どーするねん やりたい事とかないんか?」

再婚相手の親父が医者だったんですよ

だからね 当時の僕の学力からして医者は到底無理でも

理学療法士やレントゲン技師 こっちにどうも進めたい様子

んーー

どうもピンと来ません

そうしてやりたい事もなく フラフラ バイトに明け暮れてるとね

「整備士は?」 もう病院関係は無理だと悟った親父が言うんですよ

ん?整備士?バイク屋?改造屋?

アホの脳はいきなり活発に動き始め

フラフラしながらもね  

いつかアホが集まってアホな話が出来るバイク屋 できたらえーなー

くらいに思ってたのが 急に現実味を帯びてきまして

高3の冬 整備士の専門学校に向けて勉強しました

そうとなれば医者の親父は金を惜しみません

家庭教師をつけて アホの僕はその家庭教師の大学生と

ストリートファイター2と 勉強を半分半分しておりました

 

でね 受験するんですが アホの僕にもアホか?

そう思わせるような受験問題

     「自動車」  読みを書きなさい

は?

小学生?

そんな問題がツラツラと

逆にビビるわい!

家庭教師との成果は スト2  上手になっただけでした、、、

 

で 大阪の学校で整備士の勉強 する事になったんですが これが面白くないんですよ

そりゃそーです

バイクの改造屋を目指す僕が 興味のない車のアライメントとか ステアリングの話

どーでもえーでしょう?

今思えば もっとちゃんと学んでおけば今に役立つ事も多かったんですが

アホは短絡的なものの考え方しかできませんゆえ

 

でね 一人暮らしの自由さと ミスドのバイトでアホが 余計にアホになるんです

バイト行く 12時まで働く 遊びに行く 朝帰る 寝る 起きるとバイトの時間

そんな毎日で

学校 行ったり行かなかったり

行っても睡眠学習 寝に行ってるだけでした

そんな感じで 出席日数と やってくる国家試験との戦い

いよいよ2年生の終わり頃にケツに火が付いて

学校の補修を受け倒して ギリギリセーフ!くらいで

2級整備士になったんですがね

ここでも高3の時のように 周りのみんなが就職先の話をはじめます

僕はと言うと どーしょーかなー バイト おもろいしなー

可愛い子も多いしなー

当時 夜のバイトのリーダーだったので このまま就職とか あり?

とかね 思ったりもしましたが アカンアカン!

改造屋になる為に来たんちゃうんかい!

改造屋に就職じゃい!

 

バイク雑誌を色々見てね

兵庫県のとあるショップに就職したんですが

あんまりバイク 触らしてくれへん

なんか 事務的な事ばっかりやらされる

で、店が閉まってから よっしゃ!と

自分の大事なスティードを触るんです

そんな閉店後に自分のバイクを触る先輩もいて 色々教えてもらいながらやってたんですが

そりゃー天国です

高校生がマンションの駐車場でやってた時と比べると

道具は揃ってる 溶接機や旋盤ある

塗装ブースもある

聞けば的確に実践的な事を教えてくれる先生もおる

それらが許可は必要でしたが使い放題でした

そこでTIG溶接や旋盤の使い方を教えてもらい 塗装技術を教わりまして

楽しかったんですが どうも社長 嫌いでね

今思えば そんなに従業員に好き勝手 店の道具を使わせてくれる社長

素晴らしい人ではないか!

思うんですが とにかくその当時のアホの僕は「熊事件」を起こして辞めることになりました

熊事件については またいつか

 

で、和歌山に帰って とあるショップに就職しましたが やっぱりなんだか上手くできないアホの僕

すぐに辞めて

もーいやじゃい! バイクなんか好きな奴は嫌な奴ばっかりじゃい

そー思ってしまったんですよ

 

ただ、なにもしないわけには行きませんから トラックでも乗ってみよか

社長と喧嘩する

ガソリンスタンドでもいこか

社長と喧嘩する

営業とかやってみる

所長と喧嘩する

 

もーいやじゃい!

大体よ!誰も彼も上から物 言いやがって!

ダメダメのダメ人間です

社会不適合者です

 

でもね そのダメな原因が明確になると話は早くて

「そーか 上に誰もおらん状態  俺が社長になればえーんやな!」

雷が僕を直撃するわけですよ

アホでしょ?

しかし そーとなれば 動くのは早いですから

それだけが取り柄でしたから

実家の家の前に車を停めてる庭的なものがあって

5坪ほどでしたか?

そこでなにやら無職のにーちゃんがバイクを触っとーる

サンダー買ってきて鉄 切っとーる

雨降ってきたやん 撤収!

とかねやってると 親父

流石に住宅街でそれはやめてくれやと

 

祖父の農機倉庫 ちょっと隙間があるやろうから そこでやってくれへんかと

おっしゃ!広さは変わらんけど 屋根がある!

 

これが当店のスタートでした

でね 実家暮らしとはいえ 流石に収入ゼロはいかがなもんかと

道具とか 買わなあかんし 

よっしゃ 朝 バイトしよ

夜 週2くらいはバイトできるな

僕の人生で一番忙しい日々がスタートすることになりました

でもね

これが楽しいんです

当時23歳くらいでしたが 「社長!」とか言われるんですよ

最初は誰にゆーてるねん  ってな感じでしたが

親父以外 誰も僕に偉そうに言わない

イライラしないんですよ

バイトの方はと言うと もーね この時点では 

「俺?本職はバイク屋じゃい ちょっとの間 腰掛けに来てるんじゃい」

くらいの気持ちなので 上の人とも実に良好にやっていける

なんなら 「バイク屋 頑張れよ」みたいな励ましの言葉も頂ける

なんともやっとね 座り心地の良い椅子に座ったかのように しっくりくるポジションを

ゲットしたわけです

 

でね バイクから少し離れたじゃないですか

それがとっても良かったんですよ

トラック運転してる時は 抜かしていくバイクを見ていたり

ガソリンスタンドでも 営業してても

常にバイクは意識してたんですよね

で、その貯めた良い意味のフラストレーションがね

解き放たれて それも楽しくはじめれた要因の一つなのかもね

ってな気がしますよ

 

 

 

そんな和歌山時代に作ったバイク達はこちら

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1作目 CD125Tですが とにかくハンドツールから始め

バイトであくせく働いて コンプレッサー 塗装ガン 塗料一式 100Vアーク溶接機

揃えながらチンタラ作ったものです
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友達のビラーゴ250で これを売ったお金で色んな道具を揃えれました
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回収屋さんが出入りするようになり なぜかシャリーが多く入るようになりました
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女の子向けに作ったり
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悪ガキ用に作ったり してました
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当時はトラッカーブームで 色んなバイクでトラッカー 作りました

これがよく売れました

写真はハスラー50
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TLR200?220?忘れちゃいました
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これもハスラー50
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CB250RS

これはどこかのバイクコンテストで優秀賞を頂きました
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フルカスタム依頼第一号の レブルです

今もお気に入りの一台です

これ以降 依頼で作ることが増えました
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GB250

この依頼者は あとで従業員になり 今は立派に独立しています
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STEED
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SR250
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YB125
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ロードパル
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GB250

 

とね 狭くてキチャナイ農機倉庫で道具なんか全部安物でしたが

色んな人に助けられたり 当時はネットなんか希少でしたので口コミで広げてもらったりして

楽しくやってたんですよ

 

 

 

 

 

 

 

そうこうして 2ー3年 和歌山でやってましたが

やっぱりね 田舎に行くほど多いじゃあないですか?

今は旧車会  あの頃は暴走族  俗に言う珍走団

なにを言いたいかわかるでしょう?

和歌山 多いんですよ

それらがウロウロするんですよ

なんなら 修理の依頼や 改造の依頼なんかもしてくるんですが

「触りたくない イヤや!」

そんなノリで断ってましたが そんな風土のある和歌山

バイク屋をするに どーも好きくない!

よっしゃ 大阪行こっと

幼少期を過ごし 専門学校の青春時代を生きた 大阪にね

 

それが 今 ここ Custom bike LIGHT なわけです

 

 

で、4尺旋盤 大型ボール盤 TIG溶接機 ウェットブラスト プラズマカッター

とね 一つずつ 揃えて行き 高1のアホガキが

「いつかバイク屋でアホな奴とアホな会話ができたらなー」

高3のクソガキが

「改造屋するんじゃい!文句ゆーな!」

まあ 叶ってるんでしょーね

 

でもね やっぱり上には上がいるもんで

そう簡単には上の方には行けません   どんな業界でもそうでしょう?

今の僕が 高校生の頃の僕をアホガキと称するように

もっと先は 今の僕をアホガキと称するんでしょう

 

それはね 今より上にいないと出来ないことですから

そーでありたいと 強く願いますよね

 

でもね アホガキのあの頃と 今の僕の根っこの思いはなんも変わってなかったりもするんですよ

「かっちょえーもん 作るぜい!」

 

多分 この先も変わらないんでしょう

 

 

これまで 僕を育ててくれた全ての人に感謝

喧嘩とか 時にはドツいてゴメン!社長!  という懺悔

そして遠回りだったのか 早送りだったのか よくわからない経緯でここまで

よーやった 自分!

そんな 自愛に満ちたお話でした

 

 

 

 

長かったでしょう?